そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。
前の者のことは覚えられることがない、 また、きたるべき後の者のことも、 後に起る者はこれを覚えることがない。
生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
あなたの奇跡は暗やみに、 あなたの義は忘れの国に知られるでしょうか。
ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
そのとき、主を恐れる者は互に語った。主は耳を傾けてこれを聞かれた。そして主を恐れる者、およびその名を心に留めている者のために、主の前に一つの覚え書がしるされた。
賢い者は愚かな者になんのまさるところがあるか。また生ける者の前に歩むことを知る貧しい者もなんのまさるところがあるか。
知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。
風がその上を過ぎると、うせて跡なく、 その場所にきいても、もはやそれを知らない。
まことに賢い人も死に、 愚かな者も、獣のような者も、ひとしく滅んで、 その富を他人に残すことは人の見るところである。
王はアブネルのために悲しみの歌を作って言った、 「愚かな人の死ぬように、 アブネルがどうして死んだのか。
そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。
わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。
悲しみの家にはいるのは、 宴会の家にはいるのにまさる。 死はすべての人の終りだからである。 生きている者は、これを心にとめる。
またわたしは悪人の葬られるのを見た。彼らはいつも聖所に出入りし、それを行ったその町でほめられた。これもまた空である。
しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。
さとき者の知恵は自分の道をわきまえることにあり、 愚かな者の愚かは、欺くことにある。